ばりばりのMac派の私は、スマホといえばもちろんiPhoneを使用しています。
iTunesのリンクもスムーズで、アプリも便利なものが多く、手放せない端末です。

手放せない、ということは、いつでもどこでも持っていくということ。
つまりそれは、その、言いにくいところへも持って行きます。
具体的にはトイレです。
トイレには毎日行くでしょう。いくら気をつけていても、ポケットからするりと落ちてしまうことも多々あります。

ある日ポケットから飛び出した私のiPhoneは、純白の陶器にぶつかりながら、便器のなかへ浸水してしまいました。
あわてて手をのばしつかみとればよかったんです。
用を足してはいなかったものの、そこがトイレということから、判断が一瞬遅れてしまいました。

ちゅうちょしつつも水からあげたiPhoneは、ホームボタンをおしても、スリープボタンを押しても反応しません。
中には友人たちとの連絡先や、さまざまなメモが残されています。
「やってしまった」
トイレの中でしばし呆然としました。

なげいてばかりいても仕方がない。
私は意を決してiPhone修理の専門店へ連絡をとり、修理の手続きをしてもらいました。

修理から返ってくるまでの数日間。
iPhoneのない生活など考えられないと思っていた私でしたが、意外にもなければないで、読書で時間をつぶしたり、普段とは違った時間のつかいかたをしたりと、(短期間であるがゆえに)そこそこ楽しみながら待つことができました。

帰ってきてくれたiPhoneくんは、新品同様のぴかぴかになっていました。
保護フィルムを貼っておらずすり傷だらけだったガラス面は磨きあげられていました。
どきどきしながら電源を入れてみると、真っ暗な画面に光がともりました。

ああ、ありがとう。失ってはじめてわかる大切さというものを理解しました。
なくしてしまった情報は、iCloud様のおかげでなんとかなりました。

もしものときの対応にまでサービスがゆきとどいている。これがiPhoneなのです。